日清食品グループ

リセット

NISSIN HISTORY

NISSIN HISTORY

日清食品グループは、創業以来、イノベーションとマーケティングを軸に新たな「食」の可能性を切り拓き、世界中の人々に「食」の楽しみや喜びをお届けしてきました。

2010s

2016

March

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「カップヌードル」ブランドが世界販売400億食を達成

「カップヌードル」が発売45周年を迎える2016年に、ブランド全体の世界累計販売食数が400億食を突破した。日本で誕生した「カップヌードル」は80以上の国と地域で販売されており、2015年には海外での販売比率が7割に上っている。

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2015

October

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ブラジル日清を設立

NISSIN-AJINOMOTO ALIMENTOS LTDA. (日清味の素アリメントス) を完全子会社化し、新たに「ブラジル日清」を設立。ブラジルにおけるトップメーカーとしての地位を確固たるものにし、さらなる事業基盤の強化に取り組む。

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2014

April

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マグレブ日清 (2014年2月設立) が「NISSIN Patilliko」を発売

モロッコ王国に「マグレブ日清」を設立。2014年3月よりモロッコ、アルジェリア、チュニジアでインスタントラーメンの新製品「NISSIN Pâtilliko」の販売を開始した。

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March

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新研究所「the WAVE」が竣工

日清食品グループの技術・開発・研究の新たな拠点である「the WAVE」が始動。グローバルイノベーション研究センターとグローバル食品安全研究所の2つからなる「the WAVE」は、「最も進んだフードテクノロジーの波を起こし、その力強い波動を絶え間なく世界中に発信していく。」ことをミッションとしている。

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February

ぼんち株式会社と資本業務提携

1931年創業の老舗米菓メーカー「ぼんち株式会社」と業務資本提携。日清食品グループの重要な成長分野である菓子事業の展開をより一層加速させていくこととなった。

2013

October

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日清ユルドゥズ (2012年9月設立) が「Makarneks」を発売

トルコ共和国最大の消費財メーカーグループとの合弁で「日清ユルドゥズ」を設立。トルコでは初のインスタントラーメンとなる「Makarneks」の製造販売を開始した。

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October

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ジェイクアット日清 (2013年1月設立) が「NISSIN Noodles」を発売

ケニア共和国で国立ジョモケニヤッタ農工大学との合弁会社「ジェイクアット日清」を設立。2013年10月からケニアの食文化、味の嗜好などに合わせて開発した「NISSIN Noodles」を発売した。日本のインスタントラーメンメーカーとしては初のアフリカ進出となる。

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August

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コロンビア日清 (2013年3月設立) が「CUP NOODLES」「NISSIN」を発売

コロンビア共和国に「コロンビア日清」を設立。2013年8月よりコロンビアの食文化、味の嗜好などに合わせて開発した「カップヌードル」の販売を開始した。

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2012

July

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ベトナム日清 (2011年3月設立) のビンズン工場が竣工、「NISSIN」を発売

2012年7月5日、「ベトナム日清」のビンズン工場が竣工。ベトナムでの高い健康志向、品質志向に応える新製品「NISSIN」を発売した。

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2011

September

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カップヌードルミュージアムがオープン

2011年9月、神奈川県横浜市に「カップヌードルミュージアム」がオープン。安藤百福の発明の原動力となった「クリエイティブシンキング=創造的思考」の秘密を、数々の展示やアトラクションを通じて体感することができる。

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July

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「カップヌードル」が国内販売
200億食を達成

1971年9月18日に発売した世界初のカップ麺「カップヌードル」は、発売40周年を迎える2011年の7月に国内における累計販売食数が200億食を突破した。

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May

株式会社フレンテと資本業務提携

事業活動全般における協働関係を構築・強化を目的に「株式会社フレンテ」と資本業務提携。日清食品グループの菓子事業会社である日清シスコも含め、両グループのさらなる企業価値向上を目指すこととなった。

2000s

2009

January

アングルサイド Ltd. (現・マルベンフードホールディングス Ltd.) に資本参加

ロシアのインスタントラーメンメーカーとして最大手の「アングルサイド社」へ出資。世界有数のインスタントラーメン消費国であるロシア市場への参入を果たした。

2008

October

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持株会社制へ移行

日清食品グループの各事業がその競争力をさらに活性化させ、グループをさらに発展、成長させるべく、従来の経営形態や事業分野を転換し、10月1日付で持株会社制へと移行した。

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2007

January

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創業者・安藤百福が死去

2007年1月5日、創業者の安藤百福は96歳の天寿を全うした。「ニューヨーク・タイムズ」紙は1月9日に追悼の社説を掲載。 『ミスターヌードルに感謝』という見出しを立て、安藤百福に最大級の賛辞を贈った。

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2006

December

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明星食品株式会社に資本参加

米系投資会社からのTOBを受けた明星食品は、日清食品に資本業務提携を打診。日清食品がこれに合意し、ホワイトナイトとして友好的TOBを実施。明星食品が日清食品グループに加わった。

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November

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日清 (上海) 食品安全研究開発有限公司が事業を開始

原材料調達のグローバル化が進むなか、中国産原材料の安全性を確保するために「日清 (上海) 食品安全研究開発有限公司」を開設した。

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November

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安藤百福、タイム誌の「アジアの英雄」66人に選ばれる

アメリカのニュース誌「タイム」のアジア版が発刊60年を記念し、2006年11月13日号で「60年のアジアの英雄」の66人を選出。安藤百福はビジネスリーダーの部で選出され、「インスタントラーメンを発明し、アジア発展の奇跡を支えた」と評された。

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2005

July

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「スペース・ラム」が野口聡一宇宙飛行士とともに宇宙へ

日清食品とJAXA (宇宙航空研究開発機構) の共同開発による宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が、スペースシャトル「ディスカバリー号」にのって宇宙へと飛び立った。

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2004

October

メキシコ日清を設立

2004年10月にメキシコ合衆国のレルマ市にアメリカ日清の支店を設立。翌年には「メキシコ日清」として現地法人化し、カップヌードルをはじめとした製品の現地生産を本格的に開始した。

August

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河北華龍麺業集団有限公司 (現、今麦郎食品有限公司及び河北今麦郎紙品有限公司) に資本参加

中国におけるインスタントラーメン事業の強化・拡大のため、大手インスタントラーメン・製粉メーカー「河北華龍麺業集団有限公司」に資本参加。2004年4月19日、北京の人民大会堂で合弁調印式を行った。

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April

ハンガリー日清を設立

2004年4月から「ハンガリー日清」が生産を開始。欧州での生産拠点を従来の「オランダ日清」から「ハンガリー日清」に移し、ヨーロッパおよびロシア市場の販売拡大に取り組むこととなった。

2002

June

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食品安全研究所を新設

2002年6月27日、滋賀県草津市に「食品安全研究所」を設立。お客様の視点に立って原材料と製品の品質を保証し、安全で安心な製品を届けるという重要な役割を担っている。

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1990s

1999

November

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インスタントラーメン発明記念館が
オープン

1999年11月21日、チキンラーメン発祥の地である大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」がオープン。“子どもたちに発明・発見の大切さを伝えたい”という創業者・安藤百福の思いが込められている。

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1997

March

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世界ラーメン協会 IRMA (現・WINA) 設立

1997年3月4日、5日、世界ラーメン協会 (International Ramen Manufacturers Association) の設立総会「世界ラーメンサミット」が東京で開催された。このサミットには、海外9カ国から主要な10社が参加。同協会の初代会長には、安藤百福が選ばれた。

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1996

April

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タイムズ・スクエアに「カップヌードル」の巨大屋外広告が登場

タイムズ・スクエア42丁目のビル壁面に巨大な「カップヌードル」の屋外広告が完成。背景の赤いにネオンから「カップヌードル」が迫り出し、フタの部分からは湯気を吹き上げておいしさを演出した。

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March

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日清ユニバーサルロビナを設立、
工場が竣工

フィリピンのマニラ郊外に建設中だった「日清ユニバーサルロビナ」の工場が完成した。ラモス大統領が臨席のもと、盛大に竣工式を挙行した。

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1995

March

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上海日清を設立

1995年3月に中国の商都・上海に合弁会社「上海日清」を設立。1996年8月から生産を開始し、「出前一丁」や「日清焼そばU.F.O.」を発売した。

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January

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「カップヌードル」が国内販売
100億食を達成

オリジナルのフレーバーはもちろん、カレーやシーフードにチリトマトなど、さまざまな味の「カップヌードル」が人気を呼び、1995年、ついに国内販売100億食を達成した。

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1994

November

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広東日清を設立

中国・広東省の順徳市に「広東日清」を設立。

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January

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タイ日清を設立

現地の財閥系企業との合弁で「タイ日清」を設立。「カップヌードル」のノウハウを提供し、同年11月にはジョンブリ県シラチャに工場が竣工した。

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1993

June

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テレビCM「hungry?」シリーズがカンヌ国際広告映画祭でグランプリを受賞

1992年にスタートした「カップヌードル」のテレビCM「hungry?」シリーズは、単純で明るいユーモアが大評判となり、ヨーロッパ、香港、ブラジルでもオンエアされた。そして、1993年には、広告業界で世界最高のコンクールといわれるカンヌ国際広告映画祭において、「シンテトケラス篇」と「モア篇」がグランプリを獲得した。

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February

ドイツ日清を設立

ドイツのフランクフルト市にインスタントラーメンの販売会社「ドイツ日清」を設立。ドイツはインスタントラーメン市場としても有望であり、ヨーロッパ全域に販売拠点を広げるにも最適の場所であった。

1992

February

ニッシンマスを設立、工場が竣工

現地の財閥系企業との合弁で「ニッシンマス」を設立し、ジャカルタ郊外チラカンに新工場を建設した。アジア戦略を展開する上で、インドネシア市場の攻略は最重要課題であった。

1991

June

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オランダ日清を設立

1991年6月、オランダのアムステルダム市に「オランダ日清」を設立。日本のインスタントラーメンメーカーとして、ヨーロッパに初めて進出した企業となった。

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February

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シスコ (現・日清シスコ) が日清食品
グループに参加

業界に先駆けて日本でシリアルを発売した老舗メーカー「シスコ」が日清食品グループに加わった。菓子・シリアル分野に参入したほか、グループとしての生産および販売体制の整備に大きく貢献した。

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1990

July

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ヨーク本社 (現・日清ヨーク) が日清食品グループに参加

ドリンクヨーグルトを日本で最初に開発した乳製品メーカー「ヨーク本社」が日清食品グループに加わった。成長性の高いヨーグルト市場に参入したほか、ヨーク本社のコールドチェーン網が手に入ったことで、チルド食品部門の強化にも繋がった。

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1980s

1988

November

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インド日清を設立、工場が竣工

イギリス最大の紅茶メーカーであるブルックボンド社との提携により、合弁会社の「インド日清」を設立。インド国内を中心に袋麺とカップ麺を販売した。

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1986

June

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冷凍食品事業に進出

事業多角化の一環として、冷凍食品事業に進出。1984年6月、冷凍食品を製造する「エヌエス冷凍食品」を設立して、10月には新商品2品を発売した。

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1984

October

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香港日清を設立

1984年10月19日、香港に「日清食品有限公司」を設立、翌年12月には工場が完成した。日清食品グループの海外戦略において重要な拠点となり、1986年6月からはヨーロッパ向け製品の生産も開始した。

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1983

March

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財団法人日清スポーツ振興財団
(現・安藤スポーツ・食文化振興財団)
設立

創業者・安藤百福は、子供たちの健全な心身育成のためにはスポーツの振興が欠かせないと考え、私財を投じて「財団法人 日清スポーツ振興財団」を設立した。

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January

チルド食品事業に進出

事業多角化の一環として、生麺分野への本格的な取り組みを開始。近畿地区で新製品2品を発売し、同年10月にはチルド事業部を発足。全国展開への足がかりを作った。

1980

June

シンガポール日清を設立

1980年6月に「シンガポール日清」を設立し、翌年10月には工場が完成した。シンガポールをはじめ、マレーシア、香港、インドネシアなどにインスタントラーメンを供給する生産基地となった。

1970s

1975

March

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日清味の素アリメントス (ブラジル日清) を設立、イビウナ工場が竣工

1975年5月20日、サンパウロ市に「ブラジル日清」を設立。11月に竣工したイビウナ工場には袋麺の製造設備が2ライン設置され、日産能力は60万食だった。

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1973

November

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アメリカで「Cup O'Noodles」発売

「カップヌードル」は、アメリカでは「Cup O'Noodles」の名前で1973年11月に発売された。3つのフレーバーでスタートし、地道なマーケティング活動で需要の拡大を図っていった。

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1971

November

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東京・銀座の歩行者天国で「カップヌードル」を販売

1971年11月から、銀座の歩行者天国でカップヌードルの試食販売を行った。回を重ねるごとに人気を呼び、多い日には1日で2万食を売り尽くした。

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September

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世界初のカップめん「カップヌードル」発売

1971年9月18日、東京新宿の伊勢丹百貨店を皮切りに、「カップヌードル」の販売を本格的に開始した。これまでにない新しい食品の登場は若い世代からの大きな注目を集めた。

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1970

November

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「ヨーク」(現・十勝のむヨーグルト)
発売

「ヨーク本社」(現・日清ヨーク) が、日本初の飲むヨーグルト「ヨーク」を発売。お腹によい乳酸菌と、牛乳の持っている栄養の二つを兼ね備えた、当時としては画期的な健康飲料だった。

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July

アメリカ日清を設立、秋には「Top Ramen」発売

1970年にアメリカのロサンゼルスに「アメリカ日清」を設立し、日清食品グループとして初となる海外進出が実現した。その第一号商品は「Top Ramen」の名で販売された。

1960s

1963

March

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「シスコーン」発売

「シスコ製菓」(現・日清シスコ) が 「シスコーン」を発売。ご飯でもパンでもない、まったく新しい味と形の主食として誕生した「シスコーン」は、日本で初めて大量生産、大量販売に成功したコーンフレークとなった。

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1962

April

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「明星ラーメン (スープ付)」発売

初のスープ別添えタイプのインスタントラーメン「明星ラーメン (スープ付)」を明星食品が発売。麺やスープの深い味わいが楽しめると、都市部の主婦たちを中心に人気を集めた。

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1950s

1958

August

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世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」発売

1958年8月25日、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。創業者・安藤百福が発明した“魔法のラーメン”は、世界の食文化に新しい一歩をしるすことになった。

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